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黒こげオヤジのひとり言

新黒こげオヤジのひとり言 /捨てられないもの

記事の 「あなた、いつまで取って置くの、このガラクタ」―。吾輩の部屋掃除をしている我がカミさんから‘キツ〜イ一発’が飛んできた。こちとらがガラクタと思われているのではと聊かムッとして「何か文句あんの、朝からガミガミと」と儚い抵抗を試みたら、案の定‘キツ〜イ二発、三発’になって返ってきた。 「だってそうでしょ、定年になった後一回も使っていないものが部屋の中いっぱいでないですか。片付けてほしいんですよ。無駄なものは捨ててほしいんですよ。以前、私が整理したら真っ赤になって怒ったでしょ。自分のことは自分でキチッとして下さい。時間は山ほどある筈だから」。 「時間は山ほどは余計でしょ…」ブツブツ言いながら部屋に入り押入れや本箱の中を眺めると、確かに文句言われても已むおえぬ諸々で溢れている。曰く、「現役時代のネクタイ」「学生時代買った文学全集」「チャックの壊れた通勤鞄」「竹製のテニスラケット」そして‘ちょっとだけ肩書きの変わった’「古名刺」が二、三枚づつ何種類か等々…。 カミさんにしてみれば所詮ガラクタと見えちゃうんだろうし、「そうでなくても狭い家、余分なものをなんで捨てないのか」の怒り声は分からぬでもない。でもねぇ、‘どうしても思い切れぬことがあるんだ’の気持ちもちょっぴりは分かってほしいもんだ。 「このネクタイ、30年前に亡くなったA先輩と飲んだ勢いで交換したんだよな」「高校3年間の夏のバイト代、全額つぎ込んでやっと買った全集」「書類を詰め込んで、仕事の出来不出来も知ってくれている鞄」「一度だけシングルスで勝ったB君との試合に使ったラケット」そして何年かごとに印刷内容が変わった古名刺には「あん時は泣けたな、こん時はあいつと頑張ったな」と数多くの出来事が、物忘れが激しくなった頭にもあっという間に蘇ってくれる。 言わば、ガラクタに見えるこれらのものは、吾輩にとっては‘若かりし頃の証’でもあるのだ。 カミさんの口撃に「怒っちゃいけないぞ」と自らに言い聞かせながら、我にもなく冷静に‘青春の証’論を説いてみせたら、10分程経ってから、またまた次のように説教された。 「今、‘地域のボランティア活動が面白くて’といつも言ってるではないですか。気持ちは言われてみれば分かるけど、どこかで少しづつ踏ん切りをつけた方がいいんでないの?」 珍しく下手に出られるとこちとらも俄然弱くなる。「そうだよな、学生時代から書き続けている日記があるんだから読み直して、思い出の品物で書き忘れのものは新しいノートに記入しようか。時間はタップリあるんだから」―。(この皮肉はカミさんは理解出来なかったようだ) そんなこんなで、新年からボチボチ部屋の整理を始めた吾輩、こういうのを世に言う「身辺整理」とまさか呼ぶのではあるまい。ご同輩たち、ご経験ありますか、こんなこと―。 どうも、まったく暫らくぶりの「黒こげ」にしては、威勢の悪い再スタートにはなった。

スカイツリーと東京タワー

腹が立つほどの酷暑の夏が過ぎたら、秋を感ずる暇も無く一挙に冬らしくなった。吾輩は幕西地区一二の古いマンションの4階に住んでいるが、冬に向かうにつれ夕刻のベランダから富士山を眺めることが出来る。10月のことだったか、何気なくいつものように富士山を拝んでから何気なく右側に視線を移したら「あれっ、スカイツリーでないの?」―。そこにはっきりとスカイツリーの上半分を見ることが出来た。新しいマンション建築により、マリンスタジアムの花火が見えなくなり残念だったが「捨てる神あれば…」何とやらで新しい楽しみが出来た。。

 

 翌日、仲間に「俺んちからスカイツリーが見えるぜ」と偉そうに話したら「美浜大橋か豊砂海岸に行ってみな、凄いぜ」と鼻で笑われるように言われ、「ニャニォ!」と出かけてみたら確かに吾輩の完璧な敗北、美浜大橋からは海越しにスカイツリーのほぼ全体が眺望できるではないか。

 しかし、そこで「マイッタ」と言わぬのが戦前派で(関係ないか?)、「それでは足元まで行ってやろう」とある日、スカイツリーを東京まで眺めに行った。

 京成線の押上駅の傍、そこに雲衝くばかりの‘平成の巨塔’を観ることができた。完成時には634mの高さを誇るとか。大地震にも全く心配ないそうで、建築学の進歩に「おそれいりました」と頭を下げるしかない。

 ただ不思議なことに、あまり巨大すぎる為か、技術の進歩がそうさせているのか、現場で仕事に従事する人達をほとんど見受けることがないことに、奇異な印象を持った。

 たちまち天邪鬼の我が脳裏に、今までは日本一高い建築物だった東京タワーを建てていた昭和30年代頃の思い出が浮かび上がった。

 東京タワーが建てられつつあった昭和33年頃、吾輩は東京・五反田の高台に住むニキビ華やかなりし高校生だった。7、8kmは離れているだろうに、芝・増上寺そばに建てられる東京タワーの工事進捗状況は、年齢が若かっただけに、今でもハッキリと覚えている。

 鳶職の人達が足場を組み、その上で働く職人により鉄骨が毎日のように少しづつ空に向かって伸びて東京タワーが完成していくのを、望遠鏡で毎日覗くのが楽しみだった。‘どこかで眺めた光景’そう、映画「三丁目の夕日」のように‘人とタワー’つまり人と物が一体の時代だった。

 ‘昭和の巨塔・東京タワー’には働く人たちを見受け、スカイツリーにそれがなく聊か無機質に感じたのは‘技術の進歩の差’と片付けるべきだろうことは理解できるし分かってはいる。

 ただ「三丁目の夕日」ではないが、333mの東京タワーが建ちつつあった時代は、貧しくとも皆元気だった。向う三軒両隣は仲良しだったし、よその家の子供も一緒に育て一緒に笑い叱った。

 そしてスカイツリーが建ちつつある今の時代、物は豊富になったが、毎日の新聞・テレビを見るまでもなく心が傷ついている事件を見聞きしない日はない。残念ながら政治も経済も同様か…。

 「元気さの象徴」だったとも言える東京タワー、スカイツリーは何の「象徴」だろう。

 そんな臍曲りなことを思いながら周囲を見渡すと、押上駅周辺は‘人の匂い’がいっぱいのお店がたくさん並んでいる。八百屋のおじさんも食堂のおばさんも善人の固まりの雰囲気の人ばかり―。

 「スカイツリーが完成・開業は再来年、その頃までにはもうチョッと市井のおじさん・おばさん達が元気で暮らしやすい世の中になっていてほしい、永田町のおじさん、おばさん頑張らねばイカンゼヨ」と柄にも無く考えた‘黒こげ’だった。

2010年11月26日|投稿者:スタッフ|

 

 

し っ ぺ 返 し

言い訳にはならぬが、「ひとり言」をくっちゃべるのも億劫なほど暑い今年の夏だった。35℃を超えると誰が名づけたか知らぬが「猛暑日」とやらで夜など寝られたものではない。天気予報士とやらが「今日も熱中症にご注意を」等とシレッとした顔でのたまうと、「てやんでえ」と反発したくなる。

 「あ〜た(あなたの意)、暑い暑いと騒いだって自然には勝てないでしょ」とカミさんの弁だ。「うっせぇ、騒げば暑さが吹っ飛ぶんだ」と訳のわからぬことを叫ぶ吾輩だった。

 ただ、カミさんに文句でないが、暑さの原因に「エルニーニョがどうだ」「二酸化窒素がこうだ」とか聞くと「それ、地球があったかいのも人間様にもチョッピリ責任があるんでないの?」と知識も教育もないが思ってしまうのは間違いか。

 教育といえば「100歳以上の老人の戸籍不明」「孤独死」「我が子への暴力」等、常識で考えられぬくらい悲しい事件が、新聞紙面に連日見受けた今夏でもあった。

 「自分の親が何処にいるか分からぬって理解できる?」「その親の年金でへっちゃらで生活するって考えられる?」「隣のお年寄りを何ヶ月も姿見ないで心配でないのかな?」「可愛い盛りの子供に食事与えず自分が遊びほうけるなんて…」カミさんと食事しながら話題の尽きない毎日でもあった。

 夫婦で話しをすれば当然(?)昔話となる。「環境だ、エコだとTVに出る○○コメンテーターは言うけど、こんな人程自分の家では古い食用油を平気で捨てているんだょ」と聊か感情的なカミさん。

 「そう言えば、60〜70年代は‘公害’で空も川も海も汚れっぱなしだった。時間かけて少しは良くなったけど公害に悩む人はまだ多いよ」。

 「高度成長時代」の名の元に、生活向上に向けて一所懸命働き続けた我々だったし、現在の一見豊かな世の中を作り上げたことは事実。だが、あわせて環境悪化をもたらしたのも紛れもないことでもあった。

 「若い父親・母親に文句いっても始まらないょ、だってその年代の親は私たちだからね」―。むむ、今度はカミさんが良いこと言った。「だって、あたしたちの子供たち見たって、あ〜た教育間違ったと思うことない?」。なるほど、これには一言もない。つまり環境も教育も、悪いところがあれば少しっぱかりは‘古希間近’の我々の年代にもあるのかも知れない。

 「そんなら、いろんなマイナスは我々に対する天からの‘しっぺ返し’かも知れないゾ。」

 「そうかもね、じゃぁどうする?」

 「もう身体は動かないもんな、昔の環境問題はこうして克服してきたとか、生活の悩みはこうして解決してきたなんて昔の話を若い人にもするしかないね」。

 どうやら、しっぺ返しに応えるためには「うるさい」「年寄りの癖に」と言われても「ここは我らの出番」とばかりしゃしゃり出る必要があるようだ。

 珍しく意見の一致をみた我が夫婦、「ビールもう一本」と注文したら「調子に乗るな」と怒られた。

 だが、糞暑い夏を何とか乗り切り、爽やかな秋風を感じ「‘暑さ寒さも彼岸まで’と昔の人は良いこと言った」と勝手なこと言いながら、カミさんが電話に出ているうちにコッソリ冷蔵庫から一本持ち出した黒こげではあった。

2010年09月18日|投稿者:スタッフ|


 

身の丈知って、暑さ乗り切る

「暑い!」―。‘灼熱地獄’って言葉があったが、何とも今夏は暑い。「心頭滅却すれば、火もまた涼し」と、どなたか偉い人が言われたそうだが、修行等とはトンと縁遠い吾輩、「暑いものは暑い」と騒ぎ立てるしかない。ここ1,2ヶ月腰痛に悩まされ、運動不足で聊か腹回りが広がって、カミサンが「黒蛙みたいね」とバカにする身体を引きづりながらの情けない毎日ではある。

 

 「朝飯は食わなきゃな」、カミサンがパートに出たある朝、(食欲だけは減退しないのだ)パンとコーヒーを抱えながらTVをつけたら、「千葉テレビ」でマリンスタジアムで開催している高校野球県予選を放映していた。「真昼間の人工芝で、死んじゃうょこんな暑さでは…」。ブツブツ言いながら見始めた吾輩の目に飛び込んできたのは、選手はともかくカンカン照りのスタンドで跳ね回り応援する、チアガールを始めとした‘はち切れそうな’「若さの爆発」だった。解説者の「人工芝の上は、60℃になっているかも、スタンドでも40℃以上はありますね」との話を聞き、「考えてみりゃぁ、俺も昔はそうだった」と絶対に戻ってこない、半世紀前の齢を思いながら「少年老い易く…だぞ」と憎垂れ口をきき、本当の本音は「いいなぁ若さは」と思いながらチャンネルを切り替えた。

 こんどは「熱中症の予防」、それも吾輩たち‘高年者向け’の番組が放映されていた。とにかく疲れない、それには十分睡眠を摂ること。変調を感じたらすぐ休むこと、決して頑張りすぎないこと。水分を満遍なく摂る事―。が大事と丁寧に説明してくれている。

 「そんなこと言っても、こんな熱帯夜が毎晩続くんでは、寝るに寝られぬ状態ょ」と反発すれば、「できれば昼間に短時間の昼寝をとりましょう」とにこやかにコメントしながら、次のような吾輩達年寄りには‘口惜しいが納得’の教えを賜った。

 ① 高年齢ともなるにつれ、睡眠するためのエネルギー自体減退する。睡眠が浅いことを悩むことなく、小まめに寝ること。(そう言えば、30数年前に亡くなった祖母は、よく縁側でコックリしていたたっけ…)

 ② これまた高年齢になるにつけ、喉が渇いていること自体が感じなくなる。渇きを感じなくても、水分を少量づつ30分ごとに摂取すること。(前記の祖母は、暇さえあれば終日‘出涸らし茶’を飲んでいたっけ…)

 とにかく、睡眠も水分もこまめに少しづつということが大事らしい。

 同日、ほぼ同時間に‘若さ’を見せつけられ、一方で‘年齢を考えて夏を過ごす’を教えられた2つの番組を見せてもらったことになった。

 そこで黒こげの最後っ屁だ。「分かっちゃいるけどやめられない」「そ〜れが分かればクロウはない」と、植木等の歌があったっけ、優等生みたいには出来ないけど‘マッ、身の丈を知って、糞暑い夏を乗り切るよう心がけますかな’―。

2010年07月24日|投稿者:スタッフ|


 

傑作!!良い子たちの‘お星様への願い’

‘笹の葉さ〜らさら’、今日7月7日は七夕です。

 ベイタウンにある「美浜図書館打瀬別館」脇の大きなボードに、子供たちが一生懸命それぞれの願いをこめて書いた約500枚の短冊を見つけました。

 たどたどしい字、おませな文句、さまざまですがいくつかを紹介してみます。

 

「にんじゃに なれますように」

「おひめさまに なりたいな」

「やきゅうせんしゅに なれますように」

「アイスがいっぱい たべたいなあ」

「キャビンアテンダントになるために英検二級合格と、背が高くなるように」

「嵐が学校にきますように」

「パパのおなかが なおりますように」a

「めちゃ おもちゃが もらえますように」

「パンやさんに なりたいなあ」

「がっこうのしゅくだいを わすれないように」

「おしっこを もらさない」

「なわとびが たくさん とべるようになりたい」

「マイケルじゃくそんに なりたい」

「あんぱんまんに あいたいな」

「かん字が もっとうまくなりますように」

「あたまがよくなりますように」

「まいにち おこられませんように」

「うちゅうひこうしになりたい」

「ぴんくのくるまが かえますように」

「お父さん お母さん ペットがなが生きしますように」

「いもうとが ごはんをいっぱい たべますように」

「かぞくみんなが けんこうに すごせますように」

「主婦になれますように」(5年生)

「算数のしゅくだいが すらすらとけますように」

「さっかーせんしゅに なれたらな」

 

 子供たちはみんな天才コラムニストですね。

 

2010年07月07日|投稿者:スタッフ|

 

「父の日」「大相撲」「W杯サッカー」あれこれ感じました

6月20日は「父の日」だった。ガキの頃から「母の日」は頭にあったが、自分が男なのに「父の日」を意識したのは殆ど無い。‘今日が父の日?あっ、ソウ’といったところか。

 

 TVの父の日特集で傑作なことを放送していた。年頃の娘さんたちに「どんなお父さんであってほしいか」の質問に、最多回答は「若々しく、格好良く…」だった。場面は変わって、若々しくや格好良くには一見程遠い父親軍団に「娘さんに何のプレゼント貰いたいか」の質問に対し、圧倒的多数の回答は「贈り物はいらないから一緒にいる時間がほしい…」と何ともいじらしいものだった。

 格好良くなく、若々しくなく、仕事に疲れ切ってもなお「娘と一緒にいたい」と熱望する姿に‘何で娘がそんなに可愛いいんだろう’と永久に答えの出ない父親像を見た。

 「偉そうなこと言う黒こげ、お前はどうだ?」と聞くんですか。「何上げようか、欲しいものない」と聞かれた娘に「いつも発泡酒だから、たまには本物のビール飲みたい」と思わず即答してしまった。ア〜ァ!!

 

「賭博問題」で大相撲界が揉めている。名古屋場所が開催されるか中止か、今の段階では分からぬが、「暴力」「麻薬」そして「賭博」、遅々として抜本的解決策を出せぬ理事会に‘どうなってるんだ、国技を背負ってる矜持はあるのか’と思わずにはいられない。胴元との連絡役の床山を、幕西地区近隣の阿武松部屋が抱えているとの情報も乱れ飛ぶ。子供たちに礼儀も教える場所を提供している同部屋、「間違いであってほしい、事実ならばイロハのイの字から出直せ」と言う他無い。

 

 大会前は敗戦続きで不評だった「W杯サッカー」は、カメルーンに勝利し、優勝候補のオランダに大善戦して、普段はJリーグを見ない面々もあっと言う間に‘俄かサッカーファン’に変えてくれた。

 強いことは良いことだし‘サムライブルー’も大いに結構だ―。ただ、ここで偏屈の吾輩はどうしても一言いいたくなるのだ。

 カメルーン、オランダ戦後の両国サポーターの反応はTVで見る限り素晴らしかった。ラグビーで言えば「ノーサイド」で、互いの健闘を心から祝しあう姿を感じることが出来清々しかった。

 一方で、2試合とも終了後に興奮して街中をのし歩き、柱に登り荒れ狂う泥酔者を日本人のファンに残念ながら見受けた。

 不届きな行動をとるのは少数で、圧倒的多数は、勝利を祝し惜敗を惜しむ善意のファンと信じたい。

 不謹慎な一部ファンに「サムライと言うなら、仁・義・礼・智・信を大事にしろ」等と大時代なことを吼える気はない。只、勝利を祝することは乱痴気騒ぎとは絶対違う。敗者に健闘の拍手を送る余裕があってこそ「ファン」。人様に迷惑のかかる応援は応援でなく、ジャパン・イレブンも困惑する筈と言ってみたいのだ。

 

 宮里藍プロが世界1位にランクされ、石川遼プロの残念な結果が6月22日同日の朝刊に掲載された。

 「勝敗は時の常」―。全力プレーを見せてくれるアスリート達に、われわれも‘本物の応援’をして応えようではないか。うっとおしい梅雨の時期、じっとりした湿気の中でアレコレ感じた。

2010年06月22日|投稿者:スタッフ|

 

大風呂敷は、畳める範囲に広げましょう

初めてラケットを握る人に「私の指導を聞けば、来年は国体選手になれる」と、あるコーチが言った。別のコーチは「一緒に汗を流して、来年は楽しくゲームが出来るよう頑張ろう」と言ったそうだ。

 片方を‘大風呂敷’と言い、どちらが名コーチかは明らかだ。M@WSはアスリートを育てるクラブではないが、スポーツをする限り「チョビッとでも上手になりたいな」と思うのは人情、そんな気持ちをサポートする指導者やリーダーについての‘ひとり言’である。

 50年の昔、吾輩は陸上競技800mの選手で、隣の高校に何度レースしてもどうにもかなわぬSという男がいた。「おぃ、黒こげょ。1年かかって勝ちにゆこう」Kコーチが言った。「エ〜ッ、無理ですょ。大風呂敷になってしまいますよ」とビビッタ吾輩にKさんは言った。「3秒タイム縮めて2分切れば勝てるチャンスある。」「お前の長所はスタミナ、短所はスピードの無さ」「ストライド伸ばさずピッチを増やせ」「腕振りが力の入れすぎ、手のひらに生卵を握る柔らかい気持ちが大事」そして、「こういうトレーニングをする」とスケジュールを示してくれた。Kコーチの素晴らしさは共に汗を掻いてくれたこと、折に触れ「ここまで伸びた」と教えてくれ、「だから次はここまでチャレンジだ」と、ニキビ面の吾輩を‘その気’にさせてくれたことだ。

 今のご時世にはまさかいないと思うが、その昔は‘コーチに怒鳴られ、コーチのための’スパルタトレーニングをよく見かけた。そんな時代だっただけに、吾輩を伸ばそうと‘納得づく’で指導してくれるKコーチに苦しいがついていけたし、トレーニング後の会話は、いつの間にか楽しいものにまでなった。

 お蔭で1年後の対抗戦でS選手に勝てたことを、今更ながらKコーチへの感謝と共に思い出す。

 ‘向上はしたい’、でも‘苦労はしたくない’のは誰もが同じ、そんなプレーヤーにやる気と夢を持たせる為に‘風呂敷を広げる’のは、或る意味指導者の役目かも知れない。ただ、その際欠けてならない要素がいくつかある筈だ。「選手に厳しいトレーニングについてくる精神力と身体上の資質があるか」「どこを伸ばし、どこを改めるか」「その為のタイムスケジュールはどうあるべきか」何より「選手はトレーニング方法を納得しているか」等々―。

 結論を急ごう。リーダーに大切なことは‘畳めぬ風呂敷なら広げるな’と言うことだ。選手の実力を的確に把握して、絶対に無理をせず「まずホンの少し伸ばす」サポートをする。実現したら、それが新しい実力になるわけだから「さらにホンの少し伸ばす」――。気の長い話ではあるが、そんな積み重ねがプレーヤーの‘更なる向上心と長続き’に繋がると考える。

 こんなこと思いつつ「あれっ、基地移設への対応の不味さで批判を食っているどこかの首相への批判になってるな」と気づいた。

 「国民の気持ちが読めていない」「対応するポイントが分かっていない」「タイムスケジュールを考えていない」…。メディアが指摘する主要点だ。M@WSに政治・経済の事を書くのは馴染まぬのは承知だが、吾輩の言いたいことは「指導者の役目は政治もスポーツも大同小異」で「口先だけ希望を述べても、具体的解決策が無ければ失敗に結びつき、国民(選手)は離れていく」ということだ。

 H首相、M@WSに入ってラケットでも握ってみないですか? 無理だなキッと。

2010年05月29日|投稿者:スタッフ|

コメント (1)

“ 1 件 ”のコメントがあります

  1. yamane より:

    2010年6月1日 10:00 AM

    MMさんからのコメントです。
     
    久しぶりに“黒こげオヤジのひとりごと”拝見しました。
    私も,若き日の苦しかったトレーニングを思い出し、あれも快感だったような気がします。コーチは絶対的な存在だった時代、いろいろは自分の胸にぐっと飲み込み、ガムシャラについていってそこに勝利もありました。
    純粋だったのかな?スポーツばかだったのかな?

    一方地域スポーツ指導者は、笑顔で優しく、ほめて、その気にさせる、根気よく指導することです。参加者が楽しかった、体力ついた、やせたなど聞けたら万々歳ですね。m@wsの目指すスポーツの輪です。
     今や1に運動 2に食事 しっかり禁煙 最後にクスリ が健康標
    語ですがご存知ですか。

急に暑くなり、銭湯が恋しい時季かも

急に暑くなり、銭湯が恋しい時季かも 「寒の戻り」とか「花冷え」とか、もっぱらな書き出しだった新聞が、4月終わり頃から一転「夏日到来」などと書くようになった。本当に今年は‘青葉、若葉の季節’を飛び越して、冬から夏へ一足飛びの感さえする。当然紫外線の強さは増し、吾輩の「黒こげ」ぶりは今年もお蔭で健在のようだ。 M@WSでスポーツを年相応にさせてもらい、帰宅して濡れたウェアを脱ぎ捨て風呂に飛び込む時、「我よくぞ男に生まれけり」と思う一瞬ではあるが、もうひとつ欲かいて希望を述べれば‘あ〜ぁ、思いっきり手足を伸ばせる風呂に入りたいなぁ’と感じることしきりではある。 年金生活であれば贅沢はいえる身分でないことは‘百も承知で千も合点’だから温泉所望とは言わぬ。つまり「大きな風呂に入りたい」のだ。何気なくそんなことかみさんに言ったら、「銭湯があるんでないの?」の答えが返ってきた。「そうだょ、銭湯、々々」途端に吾輩の頭の中は何十年か前の子供時代に銭湯を楽しんだあれこれにタイムスリップしてしまった。 昭和20年代頃、東京で自宅に内風呂がある家は‘お大尽’だった。(吾輩はこれでも東京生まれなのだ) だから誰もが入浴といえば銭湯に通ったものだ。終戦後、自分の住む町に銭湯がなく、「○○町住民は○○曜日」と指定された隣町の銭湯に入った思い出がある。 悪戯坊主は誰でも経験がある筈だが、‘風呂やが開いて’すぐ悪童共達が洗い場で行うレースがあった。尻に石鹸を塗ったくって、風呂をキックしてどこまでタイルを滑れるかという無邪気そのものの遊びだった。遊んでいるとオッカナそうな爺さんが入ってきて「滑って転んだらどうするんだ」と怒られ首をすくめた。そんな爺さんは必ず子供が大人風呂に入りお湯をうめようとすると「坊主、ぬるくなるからうめるんじゃねぇ」と、また叱られた。 そんな憎たらしい爺さんが、何日か後に「坊主、背中流してくれたら牛乳奢ってやる」と言われ、当時はなかなか飲めなかった牛乳欲しさに、デッカイ背中を一所懸命洗うアルバイト後、飲ませてもらった一合壜入りの牛乳の旨さは、いまだに夢に出てくる思い出だ。 そう言えば「お〜ぃ、出るぞぉ」とどこかの旦那が女湯に向かって声をかけると「ハ〜ィ、あと5分ででるわょ」と壁越しに奥さんの返事が戻ってくる――。良き思い出の時代ではあった。時代は下って40年前、結婚して入居した習志野市のアパートにも風呂はなく、真冬でも当時は新妻の(当たり前か?)かみさんと歩いて7分の風呂やへ―。「南こうせつとかぐや姫」の「神田川」の世界ではないが、‘長風呂’の吾輩は、常にかみさんを待たせてしまったのも昨日のことの様だ。 「物」に限って言えば満ち足りている今の世の中に文句があろう筈はない。ただ、物が足りない、或いは無い時代でも、地域ごとの付き合いは‘銭湯’という舞台だけみても今よりはるかに深かった、ロマンもあったとは確実に言える。昔を懐かしむのは加齢の証拠とは承知だが、ノスタルジックも悪いものではないと、最近は勝手に心に決め込むことにしている。 「今のノンビリした生活で、当時の暖かい人と人との触れ合いも出来たらなぁ」…。狭くて、手足は到底伸ばせない‘内風呂’で菖蒲を浮かせながらそんな贅沢で勿体ないこと考えた、五月五日の「黒こげ」だった。

2010年05月12日|投稿者:スタッフ記事の詳細を入力してください。 伝えたいメッセージや注目すべきポイントを書いて、 訪問者の興味を惹きつけましょう。

「全然ありますよ」には「ムムッ!!」

「全然ありますよ」には「ムムッ!!」「明日、お会いする時間ありますか?」「はい、全然あります」-。言葉の乱れについてのこんな記事を見つけた。‘全然’の後には打ち消しの言葉を入れるのが本来だから「全然ありません」なら良いが「全然あります」はおかしいとの指摘だ。 若い人たちにこの不思議な言葉遣いが蔓延して、指摘すると「いいじゃん、言葉なんて伝われば」との反論もあるそうだ。そんな反論を聞くと、かく言う吾輩も黙っていられなくなる。 4月3日のNHK第一放送「夜の深夜便」で、ベテラン舞台女優・渡辺美佐子さんがご自分の‘芸歴’を語る番組を聞いた。信欣三という懐かしい役者さんの話などもあり中味はとても素晴らしいものだったが、感心したのが渡辺さんの「言葉の使い方」だった。決して難解な熟語を使うわけでないが、当意即妙に話題に合った豊富な語彙を駆使される、それもさりげなく何気なくの話し方自体に、「綺麗だなぁ、日本語って」と素晴らしい酒を飲み快い酔いを感じたような錯覚すら持たせてくれた。 インタビュアーもNHKの鍛えられたアナウンサーで‘言葉のプロ’だから語り口は立派なものだが、番組の最後に二人が「ありがとうございました」と互いに謝意を述べたとき、渡辺さんのそれには‘しっとりとした人間性’すら感じて、有名な彼女の「一人芝居」を見てみたいとの気持ちにさせられたのは多くの視聴者が共有したのではないだろうか。 ‘いっそ’‘どうせ’‘せめて’――。あまり良い例ではないかも知れぬが、これらの言葉に該当する単語は、外国語には殆ど見つけることが出来ない旨の記事を何かで読んだことがある。こんな言葉を枕詞に「いっそ……」等と妙齢のご婦人に使われたら、それに続く言葉に物の哀れや儚さを一層感じて「ゾク、ゾクッ」とくるのではないか。ガサツな吾輩でも「日本語って素晴らしいワイ」と思う。 やはり「全然あります」と言う言葉の使い方は「全然」という語彙の意味が分からず使っているのだから「全然ないです」と思うのが妥当のようだ。 昨今、与党の領袖の政治姿勢に「忖度政治」と新聞は述べている。「忖度」とは「他人の気持ちを推し量ること」と辞書に出ているが、厄介極まる熟語は知らなくとも、‘せめて’言葉の使い方は正しいものでありたい。 ここまで書いたら昔の人が言ったケシカラン(かも知れない)言葉を思い出した。「髪は烏の濡れ羽色」で「小股の切れ上がった」「気風のよい姐御肌」の女性に「黒こげさん、一献差し上げましょう」等と迫られたらどうしよう。思わず「全然いいです」と言ったりして――。 「馬鹿だな黒こげは」と言われれば‘どうせそうですよ’と膨れながら‘せめてそのくらい思わせて’と浅はかなこと思ったりする、満開の桜を望める春の日ではあった。ヘイ、お後がよろしいようで―。2010年04月06日|投稿者:スタッフ|記事の詳細を入力してください。 伝えたいメッセージや注目すべきポイントを書いて、 訪問者の興味を惹きつけましょう。

友人に聞いた‘こうすれば「認知症」になりにくい’

記事の現役時代からつきあいが続いている友人が、「黒こげさん、次の7つをすれば老人性認知症になりにくいんだって」とメモつきで教えてくれた。「教えてくれたと言うことは、些か吾輩に認知症の気を感じ取っているのかな」とも思えたが「まっ、いいや。とりあえず読んで自分で点つけてみるか」と眺めたメモに、確かに次の7項目が列記してある。曰く、 1 ウォーキングをする 2 新聞を声を出して読む 3 料理を作る 4 社会と交わる 5 電車、バスで出かける 6 日記をつける 7 恋をする 「ウォーキング」は脳の血液の流れが良くなるそうだ。M@WSのWalkingと、自分でほぼ毎朝1日平均10000歩は歩いているから、とりあえず「○」。 「声出して新聞を読む」は脳への刺激になるそうだが、かみさん以外の他人様が見たらどう思うかと心配になってしまう。只、実際やってみると難解な記事でも比較的頭に入ってくるのは‘ありゃ不思議’―。悔しいが効果はあるみたいだ。 「料理を作る」はブキッチョの吾輩には大の苦手だ。メモによれば‘クリエイティブな作業’が大事とある。わざわざ言われなくとも「今日仕事で帰りが遅いから、何か作っておいて」とかみさんに頼まれ、慣れぬ手つきで包丁を握ることもままある定年後のここ数年、「じゃかあしい、言われなくともやっている(やらされている)わい」といったところか? 「社会と交われ」ば、他人様から刺激を受けられるそうだ。これまた、ひとりでボーッとしていると‘俺、今何を考えていたっけ’と思うことシバシバだけに、酒飲みながらでも「あ〜だれ、こ〜だれ」と友達と話し合うのは悪いことではない。ただ欠点は、翌日全部忘れていることだな――。 軽い緊張感を持つことが出来るという「電車、バスへの乗車」は大変なことだ。切符自動販売機で「行き先」「運賃」程度ならまだしも、「乗り換え」などのチェックの必要ある関門をやっと通過して切符を手にし、‘やれやれ’と思ったら自動改札機に切符を残したままで到着駅で「二度払い」は何回も経験させられた。バスもスイカだパスモだ、その上‘どこにタッチだ’と軽い緊張感が持てるどころの騒ぎではない。(だから悔しいがメモは合っていると言っているのだ。) 「日記」は子供の時からつけているが、‘昨日のことを思い出しながら書く’ことが必要だと!!ここにきて、吾輩の臍は大きく横を向き始めた。「今朝何したかを懸命に思い出しながら夜つける日記に文句あっかぁ〜、昨日のこと思い出すなんて無理無理」。まぁ、書いているだけ「○」にして納得するしかないようだ。 最後の7つ目「恋をする」は‘はなからギブアップ’だ。おしゃれや話題づくりによいそうだし身綺麗に務めることにつながるらしいが、生まれてこの方体育会系での人生しか知らぬのでは「ご勘弁」としか言いようがない。 「まったくこのメモ勝手なこと言うよ」とブツブツひとり言いながら、フト気がついた。何項目かはM@WSの皆さんとお付き合いしながら自然に経験させてもらっているゾ〜っと。「そっかぁ、老人性認知症ってチョッピリ緊張し、自覚をもった動きをすればなりにくいのかも知れないな」と横を向いた臍がまともな位置に少しづつ戻ってきた。 次の週、バウンドテニスに参加したら「黒こげさん、本当にお元気ですね。どっこもお体で悪いところ無いんでしょう?」と聞かれた。「どっこも悪くなくて大きなお世話だ、その分頭が悪いわい」。 相変わらずの悪態をつきながら、「せっかくくれた友人のアドボイス、少しは感謝しなければ」と急にしおらしくなった吾輩ではあった。

2010年03月17日|投稿者:スタッフ|詳細を入力してください。 伝えたいメッセージや注目すべきポイントを書いて、 訪問者の興味を惹きつけましょう。

年齢や環境で味覚は変わるんだな

January 01, 2020

半世紀前のニキビ面はなやかな高校生時代、食事(と言うかメシ)の量は今考えただけで‘気持ち悪くなる’程の大量だったが、同時に何はなくても食べたいものは「肉、にく、ニク」だった。いくらか戦後の荒廃期を脱して物も出回ってきた時代とはいえ、‘飽食の現代’とは比べようもなく稀に食べる肉は文字通り‘安物’。新入社員の初ボーナスの日に先輩が「安物の肉だが腹いっぱい食わせてやる」と言ってくれたのに、「出来たら高い肉を腹いっぱい食わせて下さい」と生意気言って、折角の誘い話を棒に振ったことが苦い思い出として未だに夢に出てくることがある。 結婚して子供も出来、‘もう若くないょ’と言われ始めた頃からだろうか、‘野菜も食べてバランスとらなければなぁ’と少しおかずの中味が変化してきた。もっとも当時は仕事の関係(と勝手に言い訳している)で、酒はシコタマ飲むわ、煙草は1日60本吸うわ―。つまり食欲がほとんど湧かぬサラリーマン生活をしていたので、たまの自宅での食事に脂っこいものは受け付けなかったとも言える。 そんな無茶な生活が続いた45歳くらい、なぜか‘魚が食いたく’なってきた。 これまた先輩に「お前もそんな年齢になったかね」との皮肉つきで、一緒に飲み屋に入ると「煮込み」より「刺身」と肴の注文も変わった。それからさらに20年経過した現在は現役時代と異なり、同じ魚でも‘鯵・鰯の類が何より好き’―。比較的安価で満足できる肴を手に入れられるのは「年金生活者」としては何よりで、懐と味覚の合致は‘天からの配剤’と感謝すべきかも…。加齢による味覚の変化ってあるんだなと思うことしきりだ。 新婚生活をスタートさせた○○十年前、当時は新妻だったカミさんの作った「おみおつけ」(昔は味噌汁と呼ばなかったもんだ)の中味を見てビックリ、具でいっぱいの汁だったからだ。吾輩の育った家庭は、季節の野菜がチョッピリ入ったものを毎朝いただいていたからだ。当時同居していた、新潟育ちの吾輩の祖母がつくった「きんぴら」を見て、今度はカミさんがビックリ、甘くて糸をひいたようなものが出てきたから―。育った地域や家庭など環境で物の味も変わるんだなと再認識した次第―。 そんなこんなの夫婦の味の違いも、いつのまにか「足して2で割る」ではないが、おみおつけも、きんぴらも吾輩たち夫婦の味となっている。無論、毎食を用意してくれるカミさんの味がイニシアティブをとるのは止むをえぬが、確実に‘おいらの育った味’も加味されていると辛うじて言わせていただこう。 言ってみれば、結婚と言う名で新しい世代ができることは「新しい味・味覚」も出来ることなんだと改めて思わされたもんだ。 煙草の吸いすぎや、酒の飲み過ぎでの、‘舌がにぶくなって’の味覚の変化もある。(お互いに注意しましょうね、ご同輩) 年齢や環境に応じて「味の好みも変わるんだな」と、ベランダから霙交じりの寒い夜空を見て、塩辛で熱燗一本やりながら感じましたょ。 ところで、話は変わるが「海浜幕張公園」の紅・白梅が満開で、近接するホテル・スプリングス脇の河津桜も咲き出した。立春を過ぎたらかえって寒さが襲来した感がないでもない今年だが、やはり春は確実にすぐそこまで来ているようだ。2010年02月21日|投稿者:スタッフ|記事の詳細を入力してください。 伝えたいメッセージや注目すべきポイントを書いて、 訪問者の興味を惹きつけましょう。

時勢に疎いということは…

若いときから、日記をつけ続けている。「サボり大好き」の吾輩だが、こればかりは‘癖’になっていて、何日間か旅行しても、帰宅してまとめて記す真面目さ(?)だ。 15年前から簡単に書ける「三年日記」となり、今年は‘区切り’の新版となった。 1月もあっという間に過ぎようとする31日、何気なく過去の五冊を引っぱり出し、15年分の同月同日の記述を読み返してみた。 2001年迄サラリーマン人生を過ごした吾輩、当然のことだが現役時代は「仕事絡み」の事柄が多く書き込まれている。読み進むうち、「アッ、明らかに今と違うな」と思わせる心構えの差を見つけた。それは、時々刻々と起こる様々な政治、経済関係など諸々の事柄について簡単に記すと同時に、自分の考えも述べていることだ。 「元気だったんだな、あの頃は」と思いつつ、リタイア後の三、四冊目と比較してみた。通勤こそなくともM@WSに入れてもらい、結構忙しい日を送っているつもりだが、日記に記す内容が徐々に‘薄く貧困’になるだけでなく‘時勢に疎く’なっている点に気づく。 地域で起こったあれやこれやを書いているうちはまだ良かったが、最後の五冊目ともなると主要な筆記項目は「何食った」「あれ食いたい」が多く、かろうじて1年20本程度観る映画の感想程度で‘お茶を濁している’始末。どう読んでも、同じ人間が書き続けている日記とは思えない。 「どうしたんだ黒こげッ」自らの頭をぶっ叩きながら‘何でアンテナが鈍感になったのか’を考えてみた。 「ガタガタしたって騒ぐじゃない。世の中そんなに変わるわけないょ」と世の中、達観するようになったか?はたまた‘ドラスティックに変化するご時勢に付いていけなく’なったんだろうか? そう言えば、朝刊を読む時間が、いくらでもあるにもかかわらず年々少なくなっている。読む事自体が面倒臭くなったのか、それとも執着力が無くなったのか…。 そんな時、偶然若い友人が「黒こげさん、ハイチ地震で亡くなった犠牲者数は15万人ですね。美浜区は14万人だから、美浜区の全住民が瞬間にいなくなったということ。恐ろしい話しですね」と教えてくれた。「そう言えば、日本の救援態勢どうなってんの?」「政府援助だけでなく民間の私たち一人ひとりが真剣に何ができるか考えなくちゃ」といつの間にか、彼との話はドンドン広がる。 話しが出来るってことは、まだご時勢になんとか付いて行っている証拠、やはり「どうせ、こんなもんだ」の感覚で面倒臭がっているのが‘疎くなっている’原因と読めた。 年を追うごとに脳細胞が衰えるのは如何ともし難いが、「どうせ」でなく「せめて」一日ひとつ程度は、新聞種を頭の隅に引っ掛けるように努力しようと考えた「睦月最後の31日」だった。 ところで、翌日の如月2月1日には(1)民主党・小沢幹事長、地検に二度目の事情聴取 (2)貴乃花、相撲協会理事当選 (3)衆院本会議、各党の代表質問始まる―。と普通なら新聞の「一面トップ」の出来事がTVや新聞を賑わせている。 「もう少し、世の中にしがみ付いて文句の一つ二つ言いたいわなぁ」。そんなこと考えた、平成22年2月2日(2の並び)の黒こげのひとり言ではある。2010年02月03日|投稿者:スタッフ|記事の詳細を入力してください。 伝えたいメッセージや注目すべきポイントを書いて、 訪問者の興味を惹きつけましょう。

黒こげオヤジの意地悪クイズ その2

January 01, 2020

‘二倍、にば〜い’「お父さんが33才、子供が6才の親子がいます。親の年齢が子供の2倍になるのは何年後?」 こんな問題が出されたことがある。条件は6才の子供と一緒に答えを考えること。だから、掛け算・割り算を使うことは禁じ手、まして方程式などは絶対タブー。回答する条件を制限されたお父さんは‘ウ〜ン’と頭を捻るのみ―。ところが着想力のよい子供は、わずか2分で答えを出した。これ、吾輩も現場を見ていた本当の話、柔らかい頭脳を持った子供の可能性は無限だなぁ。ところで答えは「21年後」じゃ。お父さんが54才、子供が27才となり‘二倍、にば〜い’だ。どうしてそうなるって? 古希間近の吾輩に理屈が分かるわけなかろう。ただ、親の年齢から子供の年齢を引いてみて、そしてもう一度子供の年齢引いてみて―。ホ〜ラね。2010年01月27日|投稿者:スタッフ|記事の詳細を入力してください。 伝えたいメッセージや注目すべきポイントを書いて、 訪問者の興味を惹きつけましょう。

黒こげオヤジの意地悪クイズ

記「吾輩は絶対にならない」と思っていた物忘れが、ここ数年酷くなって困っている。新聞を読むと、各紙とも定期的にパズルとかナンプレが大流行。脳の活性化に良いそうだ。「ウンニャ、読書に優るものない」と力んでみるのだが、10頁位読み進んで‘あれっ、何が書いてあったっけ?’と読み返しは日常茶飯事となっている。 そんなわけで負けず嫌いな吾輩は、最近「クイズ」や「雑知識」の本をチョコチョコ開いて、‘負けてたまるか’とコッソリ頭を捻っているわけ。「黒こげ再開」を機に、時々M@WSのお仲間にご披露させてもらう。‘カンタ〜ンだょ’と思ったご同輩、どうぞ「コンタクト欄」使い、貴公のクイズ等教えていただきたいものだ。 そこで、今回は‘トッカカリ’としてゲームを一発!■誕生月と年齢当てゲーム ※友人に次の順に聞くと、最後にその人の「誕生月」と「年齢」が分かり、‘エッ、何で分かるの?’と驚かれ、貴公は「エッヘン」となれるょ。(1) 友人に生まれた「月」を書いてもらう。(2) (1)を2倍する数字を書く。(3) (2) に5を加えた数字を書く。(4) (3)を50倍した数字を書く。(5) (4)に友人の年齢を加えた数字を書いてもらう。(6) (5)から365を引いた数字を書く。(7) (6)に115を加えた数字を書く。 さぁどうだ、出た数字の「前の部分」が「生まれ月」、「後の部分」が「年齢」になっている筈。 こんなことに挑戦して、吾輩も物忘れ防止に真剣なんですゾ。2010年01月25日|投稿者:スタッフ|

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